「京都ひとり旅」で気づいたこと
もうすぐ9月だというのに、まだまだ猛暑は続いている。
今年は末娘が受験生ということで遠出は控えていたが、涼しさを求めて近場に一人で行ってきた。
今までも一人で温泉旅館に泊まったりすることはあったが、6月に行った「京都ひとり旅」がとても良かったので、ひとり旅に目覚めたのだった。
6月のひとり旅は、たまたま知り合いの美術関係の方がInstagramで投稿していた京都国立博物館「日本、美のるつぼ展」の投稿を見たのがきっかけだった。
ちょうど、神戸の施設にいる義父母のところに行くのに合わせて、京都に行ってみようと思い立った。
調べると、「モネ展」も京セラ美術館でやっている会期と重なるところがあり、しかも両館とも離れていない。これは両方行けるチャンスと、急に行くことを決めた。
「モネ展」は東京開催時は大変な混雑と聞いて避けていたのだが、地方は空いているとのことで、次の名古屋、そして京都と行ける機会を伺っていたのだった。
私は旅が大好きだが、今までは調べて計画を立てて行くことが多かった。
特に子どもが小さいうちは、GWや夏の家族旅行は、この土地に子どもの喜びそうなもの、勉強になりそうなものがないかをに入念に調べて、ツアーコンダクターのように細かく計画を立てた。
盛岡の「わんこそば」など混みそうなお店は、事前に出発点から車でかかる時間を計算し、予約するという徹底ぶりだった。
その頃友人が、「旅行に行くときに全部自分が決めなきゃいけないのは疲れる」と言っていたが、私にはそれが楽しく、苦にならなかった。
しかし、最近は時間がない。
この時も急に決めたので、せっかく京都に行くのだからどこに泊まるのがいいか、何か美味しいものを食べようかなどと思うが、以前のようにじっくり調べる時間がない。とりあえず宿を決めようと美術館周辺を見てみると、宿がたくさんあって決めるのが悩ましい。とりあえず心惹かれた宿を選んで素泊まりで予約した。
出発まであまり日がなかったが、美術館はどちらも当日や前日でもチケット購入できるようだったので、とりあえず新幹線の切符だけ買っておいた。
初日に神戸の義父母に会いに行き、翌日は美術館に行く。
夕食は神戸に住んでいる長女が京都まで来て、一緒に食べることになった。
出発日が近づいた時、施設の義父から電話があり、「施設にコロナに罹った人が出たので面会はできなくなった」とのことだった。
会えなくなったのは残念だが、面会はまた次の機会として、空いた1日はせっかくなので京都で過ごすことにした。
天気予報を見ると、2日目が雨のようだったので、初日に観光と決めた。
しかし、中学生の時の修学旅行に始まって、京都の観光地は何度も行っているので、今回京都で行きたいと思うところは特になかった。
とりあえず宿に行って、どこかで美味しいお昼を食べ、近くの観光地に行ったり、ホテルでのんびりすればいいかと、何も決めずに出発した。
新幹線の中で宿に近いところのランチのお店をGoogleマップで見てみたが、たくさんある。宿の人に聞くことにして調べるのをやめた。
宿に荷物を預けておすすめのお店を聞くと、すぐ裏にあるカフェを紹介してくれた。
そこを覗くと、「ちょうど今、テラス席が空いていますよ」と言われ、案内されたのが鴨川の正面のテラス席。
こんな川の目の前で食事ができるなんて、素晴らしい✨
何も知らずに来て、思いがけず大好きな自然の中で食事することができた嬉しさ。
気候も曇っていて、暑くもなく寒くもなかったので存分に外の空気を満喫した。
これが川床と呼ばれるものかと思い、後から調べてみると、鴨川のものは納涼床といい、高床形式の仮設の工作物という定義があるらしい。あのテラスは仮設ではないように思うが、仮設ではないものは正式には納涼床とは呼ばないのであろうか。
ともあれ鴨川がすっかり気に入って、川沿いを散歩しながら近くの八坂神社や円山公園を散策する。宿の近くに鴨川と並行して小さな川があるのを発見する。
高瀬川という川でこちらも風情がある。
その後は宿に戻って、この宿に決めた理由である屋上のテラスへ行った。
この宿には屋上に足湯に浸かりながら景色を見ることができるテラスがあり、それに惹かれてここを選んだのだった。
カクテルを飲みながら足湯に浸かり、目の前には鴨川と東山がある。
こちらも素晴らしい景色だ✨
鴨川の向こうの東山は近く、街のすぐ隣に山があるようだ。
関西は街に自然が多いと聞いていたが、改めて実感した。
京都は今まで暑い、寒い、何より人混みがすごいということで行く気がしなかったが、今回、気候はちょうど良く、混雑もそれほどでもなかったのが良かった。街なかに鴨川、高瀬川と大小の川があり、すぐ近くに山が見えるというのは、東京ではなかなかないと思う。街と自然が一体になっている魅力に気づいて、また行きたい場所になった。
夜は神戸から来た長女と合流して食事をし、2軒目に長女が好きだというひとくち餃子の店まで付き合い、別れた。宿に戻って一人で温泉に浸かる。
これは気ままなひとり旅でありながら、夕食は誰かと一緒という最高な旅の仕方かもしれないと思う。
2日目は雨の中、予定通り2つの美術館を巡り、帰ってきた。
今回の旅には、普段の旅にはない発見があった。
それは下調べをせずに行った先で偶然見つけたものは、より深く印象に残るということだ。
今はなんでも情報があるので、つい事前に調べてしまいがちだ。
調べて行くと、思った通りの旅ができる。今回の宿での体験がそれだ。せっかくならばいい体験がしたいと思い、今までは調べて行く旅が多かった。しかし何も知らないところで、たまたま良いものを見つけたということが、思った以上に嬉しいことを発見した。
そしてそれは、一人で行くことが重要だと思う。
一人で行動する中で、発見すること、感じることがある。
調べずに行ったとしても、誰かがアレンジしたものについていく旅だと、いいものは見逃さないだろうが、そこに偶然の発見はない。
「たまたま自分で見つけた」。この偶然の発見がより大きな喜びをもたらすのではないかと思う。
第171回芥川賞受賞作「バリ山行」(松永K三蔵)の中の言葉を思い出した。
「バリ」とは、あえて登山路を外れて難易度の高いバリエーションルートを行くことで、いつもバリをやっている妻鹿(めが)さんに頼み込んで、主人公はバリに同行する。しかし途中で妻鹿さんに言われてしまう。「これはバリじゃない。バリは一人じゃなきゃ。一人じゃなきゃ感じられないでしょ」と。
日常から離れてどこかへ行く。誰かとも楽しいが、一人で行くことで気づくこともあると改めて思った。
旅のスタイルはそれぞれ良さがあるが、今回は、「調べない旅」、「ひとり旅」の新たな魅力に気づいた旅であった。