愛おしい時間
第三子である末娘が先週、高校を卒業した。
そして今週、18歳を迎えた。
このことは、私にとって大きな意味を持つ。
幼い子ども2人を連れて家を出てから4年。思いがけず再婚し、新たに子どもを授かった。さまざまな事情があり、第三子の出産には決意が必要だった。
それでも神様からの贈り物だと思い、出産を決意した。
下の子があと数年で小学校を卒業し、ようやく手がかからなくなるという頃に、再び0歳からの子育てが始まった。
中学生、小学生、そして乳飲み子。三人の子育ては大変だったが、夫の協力と、近くに住んでいた伯母のおかげで、ずいぶん助けられた。
伯母には、今も心から感謝している。
末娘は、10歳くらいまでは「マム、マム」と、私を慕って、私がいなければ夜も日も明けないかのようだった。
そんな愛情を一身に受け、私もまた大きな幸せと、愛おしさを感じていた。
3月末生まれのため、同級生の中ではいつも小さく、どこか頼りない存在で、とても怖がりな子でもあった。
高学年になっても怖がりは変わらず、ひとりにしないように、仕事のない日は、下校時間に合わせて急いで帰宅する日々だった。
当時の私は、忙しい夫に加え、大学生・高校生・小学生の娘たち、そして近くに住む高齢の伯母と父のこともあり、日々の雑事に追われる毎日だった。
自分のことはいつも二の次で、家族のことを第一に考えていた。
そんな私の一番の心配は、「今、自分に何かあったら、この子とこの家はどうなってしまうのだろう」ということだった。
あるとき夫が、「自分が死ぬ夢を見た。そのとき夢の中で思ったのは、『もっとゴルフをやっておけばよかった』ということだった」と話した。
それを聞いて私が思ったのは、もし今自分が死ぬとしたら、「どうか幼い末娘が嘆き続けることなく、強く生きてほしい」ということだった。
嘆き悲しむ娘の姿を想像するだけで、涙があふれた。
あの頃の私の一番の願いは、末娘が大人になるまで、元気で生きていることだった。
――それが今、叶ったのだ。
長女が生まれてから、30年ほどの日々、私は子育てをしてきた。
親の離婚や再婚は、子どもたちにとっても大変なことだっただろう。
初めての子育てでは、育児書を手に孤立を感じていた日々。
幼稚園児と小学生、二人を育てていた母子家庭の頃。
妊婦になっても自転車に乗り、送り迎えをしていた次女のミュージカル劇団。
生まれたばかりの娘を抱えながらの長女の中学受験。
長女の不登校に悩んだ日々。
振り返れば、「あのときもっとこうすればよかった」と思うこともたくさんある。
それでもそのときどきで、どの子にもできる限りのことをしたいと、一生懸命だった。
人間は珍しい生き物だ。
生まれたときは何もできず、何もわからない。
そこから幼少期を経て、小学生、中学生、高校生と、18年から20年という歳月をかけて大人になる。
その変化は、目を見張るほど大きい。
自分自身も、誰もがそうして育ってきたはずだ。だがその記憶はおぼろげだ。
子どもを生まれたときからずっとそばで見続けていると、その成長の大きさに驚かされる。
そして、自分自身もまた、自分の記憶にないところで見守られながら育ってきたのだと思う。幼い頃の、自分には記憶のない話を、両親や伯母、祖父母が楽しそうに語っていたことを思い出す。その姿は、まだ本人の記憶に残らない幼い我が子を、温かな気持ちで見つめている自分と重なる。
「親の恩は子で送る」というが、ちゃんと送れただろうか。
里葉を始めるころからの5年間は、それがもう一人の子どものように手がかかり、末娘に十分なことができなかったことを申し訳なく思っている。
そんな末娘も4月からは大学生になり、大きな世界に羽ばたいていく。
上の子どもたちもいろいろあったが、それぞれに自分の道を懸命に切り開こうとしている。
長かったようで、あっという間だったような気もするこの歳月。
悩んだり、涙したこともあれば、家族で笑い合い、喜びを分かち合った日々もあった。
そのすべてが、かけがえのない愛おしい時間であった。
子どもたちはこれからも、ずっと私の子どもであることに変わりはない。
そして私は、これからも変わらず見守り続けていく。
けれど、このひと区切りに、ひとつの願いが叶った。
そして思う。
「ここまで、よくがんばった。
ひとつの務めを、無事に果たした」と。
今、子育てで大変な思いをしているお母さんたちへ。
いつかこの日が来るから、、
そのときまで、あと少し――そして、振り返ればきっとあっという間だよ。
そうエールを送りたい。
