二つのスタディツアー
2024年のノーベル平和賞が日本原水爆被害者団体協議会(被団協)に授与されます。その意義は、世界で核使用の恐れが高まる現状を止め、核廃絶へ向かうことにあります。被団協事務局次長の和田征子(わだまさこ)さんの言葉「私たちがやってきたことこそ抑止力だ」の通り、そうなることを切に願います。
私は次女が中学3年生の時に、一緒に広島の原爆資料館や原爆ドームを訪れました。それは彼女が中学の卒業論文に広島の原爆を選んだからです。当初は2人で行こうと計画していたのですが、ちょうどその時に、加入している生協で広島や長崎へのスタディーツアーがあることを知り、そのツアーに参加することにしました。
それは原爆ドームや原爆資料館の見学だけでなく、「語り部」と呼ばれる被爆者から直接お話を伺う機会があったり、毎年8月6日に平和記念公園で行われる平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)へ出席することもできるものでした。平和記念式典は小雨の中、出席しました。
帰ってからも同じ広島ツアーの参加者や長崎への参加者との発表会があり、とても有意義だったと思います。
特に語り部の方から直接お話を伺うことができたのは貴重な体験でした。
漫画「はだしのゲン」(中沢啓治)を読んでいたので悲惨さは覚悟していましたが、体験したご本人が直接、絵なども交えて語ってくださったお話は胸に迫るものがありました。
「はだしのゲン」は過激な内容から、学校図書館に置くか否かなどの問題提起が起こった作品ですが、作者の中沢さんは、この作品でショックを受けることが原爆の悲惨さ、真実を知ることになると語っていたそうです。
原爆資料館で見た被曝再現人形はその後、リニューアルに伴い撤去されたことを知りました。撤去に関しても様々な意見の論争がありましたが、もう見られなくなってしまったものを見ることができたことはよかったと思います。
まずは知ることが大事だと思います。
被爆者の生の声を聞く機会が年々失われています。まだ間に合ううちに多くの方に聞いていただき、次の世代に残してほしいと思います。
次女とは翌年も生協のスタディーツアーに参加しました。
それは東日本大震災の被災者が住む仮設住宅で行われる夏祭りのお手伝いと震災遺構を巡るスタディーツアーでした。
震災から5年ほど経っていましたが、未だ東北の仮設住宅で暮らす方たちへ夏祭りを開催し、焼きそばを作ったり、飲み物やかき氷を販売したり、アロマオイルでハンドマッサージをするということでした。
私はアロママッサージのディプロマを取得していたので、ちょうどいいと思い、仮設住宅で暮らす方たちへハンドマッサージを行いました。
ハンドマッサージを行いながらお話を聞くというもので、ここで役立ってよかったと思いました。
夏祭り当日は、私はハンドマッサージ、次女は焼きそば作りをし、終了後も皆さんとの交流会があり、そこでも被災者の生の声を聞くことができました。
「手術をするというときに地震が来て、薄い手術着とスリッパのまま屋上へ上がり、途中で看護婦さんがガウンを投げてくれ、津波はぎりぎり免れたけれど、とても寒い中、皆で一夜を明かした」というお話をしてくださり、今でも心に残っています。
夏祭りの翌日からは、津波の被害に遭った石巻の大川小学校や南三陸町の防災対策庁舎などをまわりました。
まだ5年後でしたので、震災の記憶は生々しく残っていました。
この時も実際の被災者から生の声を聞くことができたのが、とても有意義でした。
あれは何年前だったのだろう、と計算すると8年ほど前。
もっとずっと昔のことのように思えます。
この8年で世の中はどれだけ変わったのでしょう。
この先も指数関数的にAI技術は進むとのことで、どんな世の中になるのかわかりませんが、
実際に自分の目で見たり、直接話を聞いたり、自分の心で感じたり、自分の頭で考えること、これが情報溢れる今の世の中で、大事なことだと思います。
カフェには広島を舞台にした漫画「この世界の片隅に」「夕凪の街 桜の国」(共にこうの史代)や「この世界の片隅に」の劇場アニメ公式ガイドブックが置いてあります。
「この世界の片隅に」が劇場公開された時は、ちょうど我が家にドイツからの留学生が来ていた時で、ドイツからの留学生、少しお世話したアメリカからの留学生、私の子供たちを連れて映画を見に行きました。
日本語が全てわからなくても、伝わるものはあったと思います。
このガイドブックも勉強になります。
漫画もぜひ読んでみてください。
写真は、東北のスタディーツアーで撮ったものです。
古いiPhoneを充電して探し出しました。
改めて見ると貴重な写真だと思います。